救護班第2班で活動した乳腺外科の曳野です。
宮城県の石巻赤十字病院を中心に救護活動を行いました。

報道での未曾有の大災害という言葉に実感が湧かないなか現地入りしましたが、実際に津波の被害にあった地域を眼のあたりにし、人間がコツコツと長い時間をかけて作り上げ、営んできた日常生活を一瞬のうちに瓦解させてしまう自然の脅威に愕然としました。

救護班活動1

今回の災害は地震よりも、津波による被害がほとんどであり、「all or nothing」という状況で、津波にあわれた方の多くの方が命を奪われ、そうでない方の傷病は少ないという状況でした。
石巻赤十字病院の医療対象地域である石巻市と東松島市では、津波が仙石線、石巻線(?)よりも海岸沿い全体を一飲みにし、推定予想死亡者数は約1万人、避難民は約4万人と報告されていました。
私自身、阪神淡路大地震の際にも神戸長田地区に救護班として参加しましたが、被災地の状況は全く異なるものでした。

救護班活動2

参加時には、震災発生後1週間経っても医療スタッフ、警察や自衛隊なども、全体像が把握できない大災害であり、重点地区の同定もなされていませんでした。
しかし、情報は徐々に集積され、混乱から統括への方向へと向かう時期と感じました。

3月17日には真冬並みに気温が氷点下まで下がり厳しい条件下でしたが、明るく助け合って生きようとする住民、地元を守ろうとする石巻日赤のスタッフ、そして全国から集まってきた日赤医療救護班の結束力に感銘を受けました。
一時強盗被害や殺人などの風評被害も流れていましたが、津波は人々の心の絆までは流し去っていませんでした。

救護班活動3

大災害の前では個々の力は微力であり、役割分担を明確にし、組織で働く活動が求められるため、石巻赤十字病院の災害対策医療本部の指示に従い、救護活動を行いました。
一方、情報が錯綜し、全体像がつかめていない急性期においては、各チームの臨機応変に対応する柔軟性が求められており、スタッフの個々の知恵を集め、被災者の方に「明るく頑張れ」という応援メッセージが伝わるように尽力しました。


全国から集まった会議室あふれんばかりの赤いユニフォームに「人間を救うのは、人間だ。」という日赤精神を強く感じました。
また私自身も赤いユニフォームに袖を通す機会を望んでいます。

2011.03.29 Tue l 赤十字の活動 l top