お城を愛して止まない、事務の山城鹿介です。
引き続き、一般の方には立ち入りをご遠慮頂いている場所から見える景色と、戦国時代のお城の紹介をさせていただきます。

(北東から東方面の眺め)
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「寝仏(ねぼとけ)」と呼ばれる嵩山(胴体)、和久羅山(顔)がよく見えます。
実は、顔の部分(特におでこの辺り)はお城でした。
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前回、お城は「攻めたらケガをするよ!」と、敵へ「警告」する軍事施設であるというご紹介をしましたが、敵が攻めてくるのを「見張る」役割もあります。
そのため、お城は見晴らしのいい場所へ築かれることもよくあります。
この和久羅山城へはぜひ一度キャッスリング(山城に登ること。山登りとほぼ同じ)されることをおすすめしたいのですが、頂上からの眺めは必見です。
眼下に流れる大橋川と、その大橋川の結ぶ東西の宍道湖、中海方面がすーっと見渡せます。
大橋川を挟んでちょうど反対側には前回ご紹介した茶臼山城が見えます。
和久羅山城と茶臼山城、この2つの城がセットになって大橋川を挟み、この辺で「えばっちょった」んだなぁって想像できます。

和久羅山城にはもう1つ見て頂きたい点があります。
それは頂上の地形です。
自然界では山の頂上は、大体とんがっています。
でも和久羅山の頂上は平らです。
しかも、平らな面が、段々畑のように、いくつかあります。
「だんだん道路」を車で運転しながら見上げてもわかります。
これは、明らかに人工的に作られたものです。
そこに立って、見て、聞いて、感じてください!
そこには昔、山を平らにした人、武士として戦った人がいました。

今回ご紹介したいもう1つの城は忠山城です。
この城はあまり大きなものではありませんが、マイナーな山城の中では有名な(!?)城です。
なぜ有名なのか?

戦国時代に松江地方を治めていた(えばっちょった)のは尼子(あまご)氏です。
この尼子氏は毛利氏に敗れるのですが、その3年後にリベンジを挑みました。
この時の尼子軍は隠岐から海を渡って来たそうなのですが、最初に攻め落とした城が、この忠山城でした。
この山の反対側にはすぐそこに日本海が広がり、千酌という、古来から隠岐とを結ぶ港があります。後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐へ流されたのもここからだったとか。
この尼子再興軍は、あと一歩のところまで毛利を追い詰めますがリベンジはなりませんでした。
しかし、この後2度も毛利へ戦いを挑んだ尼子勝久、山中鹿介のガッツは見習いたいです!

お城の話はもうちょっと続きます。
Let’s go castling !
松江城を国宝に!


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2014.12.03 Wed l あふた~ファイブ l top