医療社会事業課の杉谷です。

3・11  1年前の今日でした。
今でも家々を飲み込む大津波の映像がたびたび映し出され、とても1年前の出来事とは思えません。
発災当日夜、DMAT出動。
さっそうと救護服に身を包み、さまざまな思いを胸に抱きながら被災地へ向かう班員たち。
緊張の中に凛とした面ざし、見送った私たちも身が引き締まる思いでした。

あれから1年1


寒さは大丈夫だろうか?
準備はどうだったんだろうか?
お腹は空いてないだろうか?

何度もある余震に、みんな無事に帰って来てほしい。
祈るような気持ちで待ちました。
そして、帰還した班員の疲労の中に見え隠れする安堵した表情に、私たちも胸を撫で下ろしました。

次の出動命令はいつだろう?
誰に?
被災地の状況は?

思い、悩み、問い続けた日々でした。
DMAT・救護班8班・こころのケア班・病院支援と任務はさまざまでしたが、少しでも被災者の方々の力になりたい。
81人の救護班員と送り出した職員の思いも一緒でした。

そして、今日で1年です。
この地域で、うちの病院で災害があったら、どうする?

マニュアルがない。
災害に対する自覚がない。
DMAT訓練だ。
院内防災訓練だ。

慌ただしく、あっという間に時が過ぎてしまいました。

復興の二文字は目にするけれど…
自分のことにかまけて、まだまだ多くの問題に立ち向かっておられる被災地の方々に何もして来なかったこの期間のことに胸が痛みました。
被災地に行ったことはないけれど、忘れたことはありませんでした。
どうぞ、お身体を大事にしてください。
心から願っております。

今、自分にできること、やるべきことを一生懸命にしていきます。

あれから1年2



病院広報の扇子です。

昨年の東日本大震災の発災翌日に、私は茨城県ひたちなか市に救護班として出動しました。
松江に帰ってきたのが3月15日の夜遅く。

「松江日赤ブログ、ちゃんと更新してるよ」

病院で出迎えてくれたある職員が、帰ってきたばかりの私には全く理解できない言葉をかけてくれました。
その日の深夜、自宅のパソコンで見たブログ。

涙が出ました。

私が救護班で松江にいなかった3月13日から、ブログで震災、そして救護班の動きを伝えていてくれたのです。
ここから私の「後方支援=広報支援」が始まりました。

救護班の出動・帰着、現地での活動報告など、自ら書き、そして救護班から戻ってきた職員に書いてもらい、当院の救護活動を次々とブログに掲載していきました。
その数、今現在までで実に45回。

ブログに書き綴ったこの記録が、必ず将来の糧になります。


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2012.03.11 Sun l 赤十字の活動 l top