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石巻赤十字病院救命救急センターに派遣されていた田井です。

3月11日は金曜日、当時出かけていた県西部の病院の帰り道、たまたまラジオで聞いていた国会中継が突然途切れ、東北地方で大規模な地震が、との速報が流れました。
ほぼ同時に大津波警報が発令され、高さ10mも予想されるとの警告が続きましたが、当初のラジオのニュースでは、この未曾有の災害は、想像不能でした。
そもそも大津波とはなんだ?
その後テレビで多くの映像が流れましたが、あまりのことに、現実感を伴わなかったように覚えています。

被災直後から現地に派遣された人の多くがかつての仲間であり、「到達すら困難であった」「石巻の惨状は眼を覆う」といった話を聞きながら、自分にも何かできることはあるのではとネットでの検索を始め、病院(松江赤十字)にも、もし機会があるようなら、とお願いをしました。
勤務先との契約は3月いっぱいでしたので、4月以降はフリーにしておくことにしました。

4月、春休みで帰省した次女の第一声が「お父さん、まだ松江にいたの」でした。
父親としては、うれしい台詞ではありましたが、そのぶん焦燥感も募りました。
個人のボランティアなら可能だったのでしょうが、肉体労働はまず無理ですので、医療でなにかと考えざるを得ませんでした。
このころには福島の実情が少しずつ明らかになっており、被ばくの危険性を勘案すれば、老体の出る余地もあるように思えたのです。
しかし結局のところ無為な日が続き、連休も開け、半ば諦めていたころにお話が届きました。
石巻日赤でのERの仕事、出発は2日後。
予定とは違うと、ためらいが無かった訳ではありませんが、思えば、誰も止めてくれませんでしたね。

5月14日、東京(本社)から 名古屋第一、京都第二の先生 かく2人と一緒になりました。
みんな若い。
東北自動車道からは被害の状況は窺えず、仙台を過ぎて、道の海側の水田跡に、流木や車が放置されているのが見え始めましたが、石巻に着き病院と宿泊先のホテルの周辺は、ほとんど日常の生活が営まれているように思われ、少々拍子抜けでした。

勤務は翌日から土日の日勤、準夜、平日の準夜帯でのER2エリア支援。
周辺の医療機関が多かれ少なかれダメージを受けた中で、ほぼ無傷の石巻赤十字病院に救急患者が集中した状況がまだ続いていたためで、救護所に出かける医療チームとは別行動です。
勤務割では、本意ではありませんが多少?考慮していただきました。

医師支援1

日勤帯の受診者数は100人余り、準夜帯が60人前後。
話に聞く発災後の混乱の時期は過ぎ、だいぶ落ち着きつつある印象でした。
また、5月中は厚生病院の医師1名の応援が続いており、途中から研修医の門脇先生も来られましたから、シフトは緩やかで、1ヶ月を通して一緒に働くことになったスタッフ(石巻、名古屋1&2、和歌山、庄原、茨城、福井、徳島、旭川、埼玉、富山、群馬 各日赤、玉造、小倉、湯河原、登別 各厚生 ほか)にはご迷惑をかけたかもしれません。
受診者に際立って特異的な疾病は、期間中には無かったと思います。
ただ、被災した方、救護所から来られる方は多く、後に触れるように、その地域を直に見た後は、ましてそのような状況下の人から「遠くからご苦労様です」などと言われようものなら、診察中に言葉が詰まってしまうことも、少なくはありませんでした。

着任3日目、ホームセンターで自転車を求め、石巻港方面に向かってみました。
蛇田地区のホテルから直線距離にして数百メートル、少し高みを通る国道を境に、海よりの町はただならぬ光景、漂う腐敗臭も重なって息を呑むしかなく、その後に日和山から望んだ石巻の街の跡には、言葉を失い、数日オロオロ走り回ることになりました。
東松島、女川、牡鹿半島の漁村というのがふさわしい集落の、流出した家屋の瓦礫の中に汚泥のついた、ぬいぐるみ、ランドセル、CDや生活用品の名残、その先に広がる穏やかな海を眺めていると、祈りの言葉すら出てきません。
(折悪しく?天童荒太「悼む人」読んでいたこともあります。作中一瞬、石巻 も出てきます。緩和ケアに関心のある方にもお薦め)

医師支援2
日和山から見た市立病院

医師支援3
牡鹿半島・谷川小学校

1ヶ月などあっという間でした。
大津波、このおよそ非日常的な大災害を前に、医療のできることなど、まして個人でできることなど、ごく限られていることを思い知らされました。
それでも何もしなかったよりはまし、と思いたい。

お願いはしてみたものの、退職者の災害派遣など前例に無かったはずで、期待はしていませんでした。
ご配慮をいただいた秦院長には、心より感謝と敬意を表します。
また短期間の間に準備をし、応援をしてくださった、事務部、医療社会事業部の諸氏に御礼を申し上げます。

門脇先生、状況不明のまま石巻に来られた勇気を、今一度称えます。
わずか数日で自転車がパンクしたのも、懐かしい思い出。
牛タンを食べるだけのためでもまた、東北に行きましょう。

2011.07.15 Fri l 赤十字の活動 l top