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救護班第8班で活動したドクターソルトです。

前回からのつづき~

われわれが、現地で行った救護活動を振り返ってみます。
到着翌日の5月3日から実質的活動が始まりました。
6時前に起床して7時前に宿舎であるコロボックルハウスを出発し、石巻日赤で心のケア班と別れ、勤務地である渡波小学校に8時過ぎに到着します。
8時30分からのエリアミーティングで、エリア班長からそれぞれの医療班に当日の活動内容が伝えられます。

救護班第8班10
朝のエリアミーティング


前日に大まかな活動内容を知ることは可能ですが、前日の全体ミーティングの後に方針変更がなされることがあり、当日の朝に正式な活動内容が知らされる仕組みとなっていました。

5月3日の当班の担当避難所は渡波中学校でした。

救護班第8班11
渡波中学校


震災後6週間経っていましたので、救護班の業務内容も、救急医療的側面は少なく、避難者の健康管理や避難所の衛生環境整備が重要な任務となっていました。
この日は、避難所での介護必要者の調査も活動内容に含まれていました。
被災者でも、家が倒壊や浸水から免れて、2階部分での生活ができそうな方々は、家での生活の準備のため、日中は避難所から家に帰っておられ、日中避難所にいる方は、体調が悪い方やお年寄り、帰る家がない方々でした。

渡波中学校避難所では、自治労の組合員が交替で当直体制をとってお世話をしていました。
我々が活動していた時期の前半は愛媛県、後半は大分県の自治労の方が詰めていました。
日中は石巻市の臨時採用職員も巡回して来ていました。
当直者から、被災者・避難所の状況説明を聞いて、発熱者や下痢患者の情報把握を行った後、7~8名の方の診察と介護必要者の調査を行いました。
その後、飲料水の管理状況、トイレの使用状況、ゴミ等の管理状況等の調査も行いました。
避難所の皆さんが協力し合って、衛生に配慮した素晴らしい住環境、見事なコミュニティを作っておられました。
夕方、家から中学校に戻られた皆さんが総出で行う、3階水洗トイレ用の水の確保のための1階から3階へのバケツリレーは圧巻でした。

任務としては組み込まれてはいませんでしたが、余震・再津波時の対応についても考える必要がありました。
再び津波警報が出た場合に渡波地区は、渡波中学校から歩いて30分ほどの距離がある万石浦中学校に避難することになっていました。
今回の津波で、窓が海に面して立っていた校舎は壊滅して使用できない状態となっていました。
窓が海に面していなかったため被害が少なかった校舎でも浸水した階は使用できないため、辛うじて3階部分のみが居住スペースとして利用されていました。

救護班第8班12
渡波中学校避難所(正面3階部分)


渡波中学校から海まで50メートルほどで、以前は5メートルの防波堤が立っていましたが、今回の津波で防波堤は完全に破壊されていました。

救護班第8班13
完全に破壊された防波堤


渡波中学校の止まったままの時計から、地震から津波で中学校が水没するまでの時間が推定できました。
体育館の時計は地震直後に止まっており、一方外の時計棟の時計は、津波が達した時間で止まっていました。

救護班第8班14
止まったままの体育館の時計

救護班第8班15
止まったままの時計棟の時計


この1時間ほどの時間差が防波堤の効果であった思われ、防波堤がなければ、もっと短時間で津波が押し寄せて来ると考えられました。
救護活動中に津波が来た場合、3階で生活しているお年寄りに外に出ていただくだけで10分はかかり、ましてや万石ヶ浦まで行くのは極めて困難と思われました。
結論として、避難者と一緒に3階あるいは、屋上に登って救助を待つことが賢明と判断いたしました。
診察させていただいた92歳のお婆ちゃんが、「津波の時は、孫が背負ってくれて、3階まで避難することができて助かりました。もう一人の孫娘は流されて亡くなりました。次に津波が来てもここから逃げるつもりはありません。ここに居て助からなければ、それでいいんです」と、笑顔で仰っておられたのがとても印象に残っています。

救護班第8班16
避難所のお婆ちゃんとの語らい


ドクターソルトの救護班活動報告1

2011.07.04 Mon l 赤十字の活動 l top