救護班第1班として活動しました、形成外科の安楽です。
救護から帰院後1ヵ月を経過しました。
遅ればせながら第1班の活動報告をさせていただきます。

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3月11日震災当日出動命令がでて診療を中止して、とりあえず準備をしたのですが、一時待機となりました。
当日夜にDMATを見送り、次は自分らの番だと緊張感を保って落ち着かない夜を過ごしました。
翌日いよいよ出動命令があり午前11時に日赤島根県支部を出発しました。

救護班第1班1

わが班は医師1名、看護師長1名、助産師1名、看護師2名、事務職員4名の総勢9名で車2台に分乗して被災地に向かいました。
発生後翌日ということもあり、現地の状態は何もわからないままの出発でした。
雄大な冬大山を車窓から眺めながらポツリと、
「またみんなで大山を眺めたいですね」
という発言があり、みんなでうなずいたのを昨日のように思い出します。
士気の高さは言うまでもないのですが、未曾有の災害現場に向かう不安を象徴する言葉だったように思います。

全員少しでも早く現地に到着して救護活動を行いたいという気持ちを抑えつつ途中1時間から2時間おきの休憩をとり高速道をひたすら現地に向かって進みました。

救護班第1班2

当初予想された渋滞もなく順調に進んでいたのですが、常磐道に入ってから路面状態が悪化し、段差や路肩の崩壊などがあり被災地にいよいよ入ったことを実感しました。

24時間かけて茨城県水戸市の日本赤十字社茨城県支部に到着し、そこからひたちなか市の避難所での救護活動の指示を受けました。
普段は40分程度で到着すると聞いていましたが、国道の渋滞や通行止めなどがあり、3時間かかりなんとか救護所があるひたちなか市那珂湊総合福祉センター(しあわせプラザ)に到着しました。

救護班第1班5

ひたちなか市といっても場所が分かる人は少ないと思いますが、茨城県の海沿いの中央部にあり原子力発電所がある東海村は北隣の街です。
震源からはかなり離れてはいましたが、ライフラインはすべてストップしており、道路はいたるところでひび割れがあり、建物にもかなりの被害がみられました。
また、漁港では漁船が転覆していました。

救護班第1班3
しあわせプラザの周辺もいたるところでひび割れをおこしていました

救護班第1班4
夜間は自家発電機での照明で救護所を照らしていました


(後編に続きます)


2011.04.27 Wed l 赤十字の活動 l top