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こんにちは、医療安全推進室の苦情担当者です。

医療安全研修会は医療法で年2回全職員対象に行うことが義務付けられ、立入検査では参加状況の指導を受けます。
より多くの職員が参加できるように研修内容もですが会場も悩みの種です。

今回の研修会テーマは「医療事故発生時の対応」。5回開催。
事前申込みの人数分は席を準備したい。が、椅子がない!
院内の会議室など、あちらこちらから椅子を集めました。

現在、会場は院内になく、少々離れた、旧看護学校の3階。
医療安全推進室のメンバーは4人(男性1名)。
会場の準備、片付けには、事務部に応援を求めました。
暑い中、ご協力いただきました皆さん、お礼申し上げます。
頑張った甲斐あり、研修会の参加人数は863名、約8割と目標以上の結果がでました!

医療安全推進室3
↑↑↑「前の方が席空いてるから、カモーン!」と言ってる医療安全推進室↑↑↑


来年、低層棟が完成すれば、会場が近くなり参加もしやすく、そして肉体労働は軽減されると期待は大きいです!
“後期研修会にもう一度、重労働が。体力を付けねば。いやいや、内容を工夫せねば。”と次の研修会に向けて思案、開始です。


世の中と「もっとクロス!」しよう、日赤。
もっとクロス!ポスター


松江赤十字病院ホームページ
松江赤十字病院医療安全推進室



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2011.07.29 Fri l 院内研修会・講演会 l top
こんにちは、“チームれんけい”です。
6月24日~25日に京都で開催された日本医療マネージメント学会学術総会に参加してきました。

おしかけ12

医療社会事業部という地域との関わりの仕事をしております職員4名で出かけました。
口演発表2題、ポスター展示発表1題も併せて発表の機会を得ることができました。

おしかけ13

京都は、梅雨の合間ではありましたが、暑つ~い京都でした。
学会は、多職種の方々のマネージメントについての発表がたくさんありました。
学会に行くと、力不足を感じたり、反対にエネルギーをもらったりと、いつもなかなか刺激的ですよね。
発表は、緊張しますが、皆様から、いろいろ意見をいただくこともでき、為になります。
また、頑張ろうと参加者一同、暑つ~い京都で、夜、ビール飲みながら、確認しあいました


世の中と「もっとクロス!」しよう、日赤。
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松江赤十字病院地域医療連携課



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2011.07.27 Wed l 学会へ行ってきました l top
東日本大震災の救護班で出動した理学療法士の足川です。

震災が起こってから数日・・・。
「いてもたってもいられない」という気持ちでおられた方は多かったのではないでしょうか?
僕もその一人です。

「リハビリテーション」というと、災害直後には関係ないように思われがちです。
「そんなのしばらく経ってから必要になるもの」・・・と思われている方も多いかもしれません。
たしかに人命救助が第一選択として考えられるのは当然なのですが、急性期の病院で働く理学療法士としては、「役に立てる筈だ」という強い思いがありました。
たとえば避難生活を考慮すると、床ずれ(褥瘡)の予防、肺炎の予防、運動不足の改善、生活環境の改善、心身のリラックスなどに対して働けると思います。
また、被災地に向かわれた人たちのストレス解消のためにも役立つと思います。
また、当然のことなのですが、現地には元々リハビリを必要とされていた方や、震災後に病気を発症しリハビリを必要とされている方も多い筈です。
「リハビリテーション」を必要としている方が多いと思われるなか、対応できる理学療法士は数的には決して足りているとは言えないでしょう。

地震、津波の被害が大きく伝えられてから、私は赤十字職員として、現地への派遣の要請がきたらすぐに向かいたいという気持ちでした。
しかし被災から1週間、2週間経っても「理学療法士」に対する要請は来ませんでした。自治体や支部からの要請は一向に来なかったのです。
私が現地に向かえたのは、4月7日。帰着は4月11日でちょうど被災後1ヶ月となる日でした。
「理学療法士」ではなく、「主事」という事務要員として行かせていただきました。
直接的に理学療法士としての仕事をするわけではなくても、理学療法士としての目を持ち現地を見てきたいと思いました。

救護班第6班1

現地の凄惨さは、「報道にある通り」とはいきませんでした。
情報に触れるのと、自分自身が触れるのとでは全く違うのだと痛感しました。
すぐ目の前に船がせり出し、家々が沈み、天地をかき回したような光景が広がっているのです。
そして、人々はそこで生活をされているのです。
自分自身が被災地のただ中にいることは絶え間なく続く余震とともに感じることができました。
今上陛下が「人々の雄々しさ」と評されたお言葉のとおりに、現地の方々はたくましく生活しておられました。
逆にそのたくましさ故に、不安を内に隠してしまい、外部からは大丈夫だと評されてしまう方もおられました。
それは一軒一軒の家をまわらせてもらい現地の状況を調査し診療する中で対話を通しやっとわかってきた状況でした。

救護班第6班3

救護班第6班2


今回の救護班の活動を通して、「救護」や「復興」というのは、社会や地域を対象とするのみではなく、まさに一人一人に対して、個々に対して力が向かわなければならないのだと強く感じました。

2011.07.25 Mon l 赤十字の活動 l top
救護班第8班でこころのケア班として活動した土江です。
5月2日から7日まで石巻市で活動しました。

こころのケア2

こころのケア班が救護班に伴って行くのははじめてであり、到着するまでこころのケアの活動状況がわからず、とまどいながらのスタートでした。
私たちが到着した時には本社召集のこころのケア班第12班を中心に5、6ヶ所の避難所で活動が展開されており、そこへ加わり避難所を巡回しました。
活動内容はこころのケアのトリアージ、前班から関わっている方への継続したフォローおよび避難所のアセスメント。
夕方のミーティングではその日の報告と精神科医師や臨床心理士からの指導・助言を受け、翌朝にリーダーが市役所で担当保健師へ報告し打ち合わせのもと以降の活動を進めて行きました。

避難所では家や財を失った方、津波に流されながら九死に一生をえた方、大切な家族や友人を亡くした方たちの言葉に耳を傾けました。
家族を失い辛い状況なのに「自分だけじゃなくみんなが大変な状況だから」と笑顔で話される方もおられ、災害によって日常を奪われた悔しさや悲しみの中にあっても前向きな姿に何とも言えない気持ちになりました。
被災から2ヶ月が経ち避難所の人数も半数近くに減り、避難所にいる方も日中は自宅へ片付けに戻ったり、仮設住宅もわずかながら建ち、学校の授業や診療所も徐々に再開され一歩ずつ地域が復興への道を歩んでいることも感じることができました。

ふだんの社会福祉士としてではなく今回はこころのケアの主事としての参加でしたが、親族の家に身を寄せながら再び避難所に戻らざるをえなかった方、学校の再開にあわせ教室から体育館へ移らなければならなかった方、生活の場が定まらず我慢を強いられている方を多く目にしました。
日ごろ経済的・社会的・心理的な課題や介護の問題を抱える人々の支援に多く携わる立場であり、被災された方々のこれからの生活について継続した適切な支援の必要性を痛感しました。

そして任務を終え帰着後、迎えにきてくれた妻子の姿にほっとし、留守中に誕生日を迎えた末っ子の「おかえり」という言葉になにげなく過ごす日常の幸せとかけがえのなさを実感しました。

こころのケア3

最後に未だつらい生活をしいられている被災地の方々の一日も早い生活の再建を心からお祈りいたします。

2011.07.22 Fri l 赤十字の活動 l top
救護班第8班で活動したドクターソルトです。

前回からのつづき~

5月4日の午前中は渡波公民館で活動しました。
公民館では、避難者の診察を行う一方、臨時救護所を設置し、避難者以外の方々の診療も行いました。

救護班第8班17
渡波公民館避難所臨時救護所


公民館避難所は公民館長さんが仕切っておられましたが、館長さんご自身が被災者で、家を根こそぎもっていかれて、なにもない土地だけの写真を示しながら、「ここに我が家があったんですよ。命が助かっただけでも、儲けもんです」と笑って仰っておられました。
公民館は九州厚生年金病院救護班に引継ぎ、午後は前日の渡波中学校に向かいました。

救護班第8班18
九州厚生年金病院救護班への引継ぎ


中学校では、昨日診察した方へ薬をお渡しすると共に、服薬についての説明を行いました。
渡波小学校の薬局には、これまでの救護班が持ち込んだ種々の薬剤が混在し、規格もさまざまな物が混在しているため、誤服用の原因となっていました。
調剤の統一が図られ、この時期には、各救護班の持参薬剤は持ち帰るのが原則となっていました。
また、地元の開業医の先生の6割近くが診療の部分再開に漕ぎ着けていましたので、地元の先生への受診を誘導していくことも、任務の一部となっていました。
1ヶ月分の薬をお渡しし、再開開業医情報もお渡しし、次からは、開業医の先生を受診していただくようにお願いしました。

5月5日はJAいしのまきと渡波保育園で救護活動を行いました。
糖尿病の医者が来るとの事前情報があったためか、インスリン治療の方々が診察を待っておられました。
4名の患者さんを診察させていただきましたが、すべての患者さんが、ご自身のインスリンの種類と使用単位数、震災前のHbA1cの値を覚えておられたのは、驚きでした。
保育園には、『団結の囲炉裏』、『命の囲炉裏』とも称すべき囲炉裏がありました。

救護班第8班19
渡波保育園避難所の『団結の囲炉裏』


津波でずぶ濡れとなった、凍える身体を温めてくれた火を絶やすことなく、大事に守っておられました。
この火が、被災者の身体を温め、お湯を沸かし、食料の煮炊きを可能としました。

こころのケア班の活動は、通常の救護活動とは別系統で運営されていました。
対象者は、地元の担当の保健師さんが選定し、全国から集まった日本赤十字社のこころのケアチームが、その任に当たる仕組みとなっていましたが、種々の事情で連携が上手くいっていない部分があったように思われました。
日々の活動を終えて、毎日夕食後に宿舎で行っていたミーティングでも、十分な情報が得られない中での、こころのケア活動の難しさ、こころのケアの継続性の問題、医療班との連携など、こころのケア班の悩みは大きかったように思います。
こころのケア自体が、携わる者にとって心の負担の大きい医療活動であり、ケア班の面々の心身が日々消耗して行くのが、傍で見ていてもハッキリ分かりました。
こころの悩みを抱えている方に、十分な活動ができていないとの自責の念が、自らの心の負担を、さらに大きくしていたようでした。

救護班第8班21
気丈に振舞うこころのケア班(手前、赤の救護服の3名)


5月6日は当班の最終活動日でしたが、エリア幹事医療班の愛媛大学の最終日と重なったため、朝のミーティングの後で、ジャパンハート、松山日赤、多摩医師会も加えたエリア6C救護班全員で記念写真を撮りました。

救護班第8班20
6Cエリア救護班の仲間


午前中に渡波中学校と保育園を松山日赤救護班と共に回り、診察と引継ぎ業務を行いました。
今後の救護班の活動起点を秋田から仙台に変更することになり、島根県支部と当院の救急車両は、仙台市の宮城県支部に回送することになりました。
また、今後救護活動は縮小されていくとの予想から島根県支部の大型車両キャンターも松江まで回送することになりました。
そのため、帰りは陸路仙台に向かい、本隊は仙台駅から新幹線で東京に出て、一泊の後7日に空路出雲入りすることになりました。
キャンター回送の別働隊の主事2名は、仙台から磐越自動車道で新潟に向かい、新潟で一泊の後、北陸自動車道経由で島根に向かうことになりました。
本部での任務終了の報告後、直ちに仙台に向かい、ヘロヘロ状態で宮城県支部に到着した時には、夕暮れ時となっていました。
疲労困憊の状態で、更に新潟に向かう両主事を、運転の無事を祈りながら見送りました。

救護班第8班22
疲労困憊の中での旅立ち


われわれの滞在期間中にも、地元の人々が復興のために動き出している場面に出会うことができました。
保育園の裏手にある神社で、瓦礫の中で行われたお祭りに、地元の方々の復興への強い願いを感じました。

救護班第8班23
瓦礫の中での祭り


団塊の世代時代に建てられた中学校の空き教室を利用して、全壊した中学校が丸ごと移ることにより、1つの中学校の校舎で、2つの中学校の授業が再開されたりもしました。
再開された中学校へ登校する中学生のくったくのない笑顔に救われた想いがしました。

救護班第8班24
中学生の登校風景


われわれは、悲壮な覚悟を持って、石巻の救護活動に向かったわけですが、悲惨な体験をされ、困難な状況にありながら、明るく振る舞っておられる被災者の皆様に、われわれ一人ひとりが救われた想いがいたしました。
被災地の一日も早い復興を願ってやみません。

頑張れニッポン! 頑張れ東北!!


2011.07.19 Tue l 赤十字の活動 l top
石巻赤十字病院救命救急センターに派遣されていた田井です。

3月11日は金曜日、当時出かけていた県西部の病院の帰り道、たまたまラジオで聞いていた国会中継が突然途切れ、東北地方で大規模な地震が、との速報が流れました。
ほぼ同時に大津波警報が発令され、高さ10mも予想されるとの警告が続きましたが、当初のラジオのニュースでは、この未曾有の災害は、想像不能でした。
そもそも大津波とはなんだ?
その後テレビで多くの映像が流れましたが、あまりのことに、現実感を伴わなかったように覚えています。

被災直後から現地に派遣された人の多くがかつての仲間であり、「到達すら困難であった」「石巻の惨状は眼を覆う」といった話を聞きながら、自分にも何かできることはあるのではとネットでの検索を始め、病院(松江赤十字)にも、もし機会があるようなら、とお願いをしました。
勤務先との契約は3月いっぱいでしたので、4月以降はフリーにしておくことにしました。

4月、春休みで帰省した次女の第一声が「お父さん、まだ松江にいたの」でした。
父親としては、うれしい台詞ではありましたが、そのぶん焦燥感も募りました。
個人のボランティアなら可能だったのでしょうが、肉体労働はまず無理ですので、医療でなにかと考えざるを得ませんでした。
このころには福島の実情が少しずつ明らかになっており、被ばくの危険性を勘案すれば、老体の出る余地もあるように思えたのです。
しかし結局のところ無為な日が続き、連休も開け、半ば諦めていたころにお話が届きました。
石巻日赤でのERの仕事、出発は2日後。
予定とは違うと、ためらいが無かった訳ではありませんが、思えば、誰も止めてくれませんでしたね。

5月14日、東京(本社)から 名古屋第一、京都第二の先生 かく2人と一緒になりました。
みんな若い。
東北自動車道からは被害の状況は窺えず、仙台を過ぎて、道の海側の水田跡に、流木や車が放置されているのが見え始めましたが、石巻に着き病院と宿泊先のホテルの周辺は、ほとんど日常の生活が営まれているように思われ、少々拍子抜けでした。

勤務は翌日から土日の日勤、準夜、平日の準夜帯でのER2エリア支援。
周辺の医療機関が多かれ少なかれダメージを受けた中で、ほぼ無傷の石巻赤十字病院に救急患者が集中した状況がまだ続いていたためで、救護所に出かける医療チームとは別行動です。
勤務割では、本意ではありませんが多少?考慮していただきました。

医師支援1

日勤帯の受診者数は100人余り、準夜帯が60人前後。
話に聞く発災後の混乱の時期は過ぎ、だいぶ落ち着きつつある印象でした。
また、5月中は厚生病院の医師1名の応援が続いており、途中から研修医の門脇先生も来られましたから、シフトは緩やかで、1ヶ月を通して一緒に働くことになったスタッフ(石巻、名古屋1&2、和歌山、庄原、茨城、福井、徳島、旭川、埼玉、富山、群馬 各日赤、玉造、小倉、湯河原、登別 各厚生 ほか)にはご迷惑をかけたかもしれません。
受診者に際立って特異的な疾病は、期間中には無かったと思います。
ただ、被災した方、救護所から来られる方は多く、後に触れるように、その地域を直に見た後は、ましてそのような状況下の人から「遠くからご苦労様です」などと言われようものなら、診察中に言葉が詰まってしまうことも、少なくはありませんでした。

着任3日目、ホームセンターで自転車を求め、石巻港方面に向かってみました。
蛇田地区のホテルから直線距離にして数百メートル、少し高みを通る国道を境に、海よりの町はただならぬ光景、漂う腐敗臭も重なって息を呑むしかなく、その後に日和山から望んだ石巻の街の跡には、言葉を失い、数日オロオロ走り回ることになりました。
東松島、女川、牡鹿半島の漁村というのがふさわしい集落の、流出した家屋の瓦礫の中に汚泥のついた、ぬいぐるみ、ランドセル、CDや生活用品の名残、その先に広がる穏やかな海を眺めていると、祈りの言葉すら出てきません。
(折悪しく?天童荒太「悼む人」読んでいたこともあります。作中一瞬、石巻 も出てきます。緩和ケアに関心のある方にもお薦め)

医師支援2
日和山から見た市立病院

医師支援3
牡鹿半島・谷川小学校

1ヶ月などあっという間でした。
大津波、このおよそ非日常的な大災害を前に、医療のできることなど、まして個人でできることなど、ごく限られていることを思い知らされました。
それでも何もしなかったよりはまし、と思いたい。

お願いはしてみたものの、退職者の災害派遣など前例に無かったはずで、期待はしていませんでした。
ご配慮をいただいた秦院長には、心より感謝と敬意を表します。
また短期間の間に準備をし、応援をしてくださった、事務部、医療社会事業部の諸氏に御礼を申し上げます。

門脇先生、状況不明のまま石巻に来られた勇気を、今一度称えます。
わずか数日で自転車がパンクしたのも、懐かしい思い出。
牛タンを食べるだけのためでもまた、東北に行きましょう。

2011.07.15 Fri l 赤十字の活動 l top
こんにちは、チームれんけいです。
相手からの要望があったわけでもないのに、当方から勝手に出かける「おしかけ勉強会」。
最近出かけた報告をします。

6月10日、『心不全』をテーマに集中ケア認定看護師と心血管センターの看護師スタッフと共に地域の訪問看護ステーションに出かけました。

おしかけ8

『心不全』をテーマに訪問看護ステーションで勉強会をさせてもらうのは、これで4か所目です。
訪問看護ステーション看護師さんが、患者さんの生活に寄り添う活動を聞かせてもらい、毎回、感動します。
病院では、改善した患者さんの病状も、地域へ帰ったら悪化することがあります。
それには、お互いの情報交換や役割を確認し合ったりすることが大切であることを学びました。
訪問先から「かなり顔の見える連携になりましたよ」というお礼のお手紙もいただきました。

おしかけ9


5月25日・6月27日には、『乳がん看護』をテーマに乳がん看護認定看護師と共に近隣の病院とクリニックを尋ねました。

おしかけ11

がん地域連携クリティカルパスの連携も始まることになり、患者さんを中心にケアの連携ができたらとお互いの顔合わせを兼ねて出かけました。

おしかけ10


やっぱり、地域連携は、“顔”を合わせることが基本ですね。


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2011.07.13 Wed l 地域とつながります l top
健診係の加茂です。
7月12日は、何の日か知っていますか?
「人間ドックの日」なんです。

日本では、1953年(昭和28年)に生活習慣病健診が初めて行われ、
1954年7月12日、人間ドックが現在の国立国際医療センターで開始したのが始まり。
初めは、「短期入院精密身体検査」と舌を噛みそうな呼び方だったのですが、
この検査を報道した新聞記事で「人間ドック」というネーミングがされ
この呼び方が定着したようです。

そこで、皆さん。
「1日外来人間ドック」「脳ドック」「PETがんドック」を受診しませんか。
予約・お問い合わせは、健診センター 健診係にご連絡ください。お待ちしています。
私たちが、お受けします。

人間ドック1


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2011.07.12 Tue l 病院いろいろ l top
副院長の香川です。

冬眠していた体が目覚めました。
ゴルフの季節です。
ゴルフはきわめてメンタルなスポーツで性格も反映します。
ゴルフは「欲」と「ネガティブな気持ち」でスコアが崩れてきます。

1. 欲
 (1)あの人より飛ばしてやろう
 (2)今日はベストスコアを出すぞ

2. ネガティブな気持ち
 この狭いところがまっすぐ打てるか
 ミスショットしたら嫌だな

いつもこんな気持ちでやっています。
本当は自分の技術レベルを知って、99%の練習や思考と1%の偶然がナイスショットを生み出します。

ゴルフコースはゴルファーを錯覚させます。
写真は各々のホールで距離は20メートル程度の違いですが、非常に遠く感じたり、狭く感じたりしてミスショットを誘発します。
わかっているけどはまります。


11番ショートホール
上段より下段が狭く感じます。
ゴルフ1

ゴルフ2


3番ショートホール
やや狭いですが何とかまっすぐ打てそうです。
ゴルフ3

20メートル後ろからチャレンジすると距離もありますが狭く感じミスショットします。
ゴルフ4

グリーン上から見ると非常に広々しています。
ゴルフ5


9番ミドルホール
上段は開けた感じで池越えもできそうで下段は20メートル後ろですが狭く池までも遠く感じます。
普通130メートル打てば超えるのに、残念ながらメンタルで池に入れることもあれば、左右の木の中へボールがいくこともあります。
自分は左に曲げてしまい池に落としました…

ゴルフ6

ゴルフ7


ゴルフでほとんどの人の性格がわかります。
自分はネガティブ思考でした。
みなさんはゴルフに限らずポジティブでくよくよせずにスポーツを楽しんでくださいね


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2011.07.11 Mon l あふた~ファイブ l top
事務部長から当院の新築建替え工事の進捗状況です。

昨年春、14階建ての新病棟「高層棟」への移転後、約半年かけて旧病棟である旧「新館」を解体し、秋には跡形もない平地の状況となりました。
その後11月からは、外来、医局、管理部門などからなる「低層棟」の建設が始まりました。
5月には基礎工事、免震装置の据え付けが終わり、いよいよ上屋の立ち上げの段階になりました。

高層棟12階の談話室から工事現場を見下ろしてみると
工事1

工事は一応順調で、来年の今頃には低層棟も完成しフルオープンを迎えているはずです。
街中の現地建替えですので何分にも工事期間が長い。
平成19年から平成25年までの工期ですので、その間にオリンピックが2回入っています。
資材の高騰もありましたが、このたびの予期せぬ大震災の余波で資材不足など影響せねばと、無事完成を迎えることを祈らんばかりです…。

と、思いながらカメラのアングルをそのまま上にあげると
工事2

この眺望となります。
宍道湖大橋のその向こうに「嫁が島」が浮かんで見えます。
当院自慢の眺めです。
8月には松江の夏祭り「水郷祭」がありますが、ここからの花火の眺めはバッチリですヨ。


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松江赤十字病院 新病院建設情報



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2011.07.08 Fri l 病院いろいろ l top