救護班第8班で活動したドクターソルトです。
第8班は、連休中の5月2日から7日まで、石巻圏(石巻市、東松島市、女川町)医療エリアで救護活動を行って来ました。
第8班は、通常の救護班5名(医師1名、看護師2名、薬剤師1名、主事(事務官)1名)に、心のケア班3名(看護師2名、主事1名)と支部主事1名を加えた9名で編成されていました。
支部主事は、今後の島根県支部の救護活動を展開して行く上での情報を得ることも目的として帯同しました。
松江日赤第8救護班班員これまで、島根県支部からは、松江日赤が2クール、益田日赤が1クールの順番で救護班を派遣していました。
我々は、松江日赤としては8班目で、島根県支部としては12班目の出動ということになります。
これまでは4泊5日の活動でしたが、今回から5泊6日の活動に延長されていました。
帰任して3週間ほど経った27日に、班員が集まっての慰労会を行いました。
肉体的疲労のみならず、救護活動で体験した心理的負担の重さによる抑うつ感情が、帰任後の班員の多くから共通の体験として語られました。
我々の体験を共有していただく目的で、我々の救護活動を3回シリーズで報告させていただくことにしました。
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5月2日8時10分からの病院前での出発式の後、出雲空港から羽田経由で、島根県支部の車両が置いてあった秋田空港に向かいました。
秋田空港から、秋田自動車道、東北自動車道と高速をひた走り、夕刻に石巻日赤に着くことができました。
石巻日赤到着本部への着任の報告を済ませ、オリエンテーションを受けた後に、宿舎である農業体験実習館(コロボックルハウス)に着いた時には20時を回っていました。
コロボックルハウス夕食を慌しく済ませて、ミーティングを終えて、22時30分には床に就きました。
高知日赤救護班と同宿で30畳ほどのバンガローで18名の男女が、雑魚寝で寝泊りすることになりました。
宿泊バンガロー内部月曜と木曜が入浴日となっていましたので、到着日と帰任前日に入浴することができたことは幸いでした。
震災当初は、種々の医療班が統制の取れない状態で、非効率な救護活動を行うこととなりましたが、宮城県知事から委嘱された災害医療コーディネーター(石井正先生)のもとに一元化されて医療展開がなされるようになった3月20日以降、試行錯誤の中での医療班の組織化が図られて、我々が行った時には、素晴らしいシステムが構築されていました。
合同医療チーム全体会での石井先生の説明
合同医療チーム全体会で説明に聞き入る参加者我々の活動エリアは、出発前には牡鹿半島と聞いていましたが、当地に行って割当てられたのは、石巻市渡波(わたのは)エリアでした。
石巻圏医療エリアは14エリアに分かれており、渡波エリアは第6エリアとなりますが、人口密集地域で被害が甚大であったため、6A、6B、6C、6Dの4エリアに、さらに細分化されて救護活動が展開されていました。
我々が活動したのは、エリアセンターがあった6C地区でした。
第6エリア幹事医療班は愛媛大学で、愛媛大学の班長の指揮下で救護活動を行いました。
愛媛大救護班班長(森本先生)愛媛大学は、震災直後より10人前後の救護班を1週間交代で継続的に派遣していました。
その他、高知日赤、ジャパンハート、九州厚生年金病院、多摩医師会、山岳医学会が愛媛大学の指揮下で同時期活動しました。
渡波地区の救護班のセンターは最大の避難所である渡波小学校に置かれ、保健室を診療所として使用し、薬局機能も持っていました。
渡波小学校
エリアセンター(渡波小学校保健室)既に、避難者の数は半減していましたが、それでも6C地区では、渡波小学校に160数名、渡波中学校、渡波公民館、JAいしのまき、わたのは保育園に、それぞれ40名前後の被災者が生活していました。